出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | セントーサ島 |
資料にある地域情報 | ブラカンマティ島 |
慰安所があった時期 | 1942年11月 |
記載内容 | シンガポール市街の対岸のブラカンマティ島(現在セントーサ島)に駐留していた陸軍航空の燃料補給廠で通訳として勤務していた永瀬隆氏の証言によると、1942年11月になってから朝鮮人慰安婦12〜13人が送られてきて慰安所が開設された。現在の戦争博物館の所に補給廠の本部が置かれ、その南に隣接した建物が慰安所として使われた。・・・彼女らと話をしていた時に「通訳さん、聞いてください。私たちはシンガポールのレストラン・ガールということで100円の支度金をもらってきたが、来てみたら慰安婦にされてしまった」と泣きながら訴えたという。 |
証言者 | 永瀬隆 |
証言者属性 | 陸軍航空の燃料補給廠で通訳として勤務 |
部隊名 | |
資料タイトル | マレー半島における日本軍慰安所について |
著者、公文書発信者など | 林博史 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.7.31 |
発行所 | 関東学院大学経済学部教養学会 |
ページ | 88 |
出典備考 | |
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