出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 昭南 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 日本軍の後には料亭が従うといわれるくらいで、驚くほどの数の料亭が進出してきていた。・・・一番盛んな時は、東京から来た芸妓が昭南に二百人いたという。・・・料亭の繁栄は日本軍の敗勢と関係がなかった。末期的症状の料亭の繁栄を見るに見かねて、方面軍参謀部第1課(作戦)から、料亭をつぶせという強硬意見が出た。すると民間の料亭を閉鎖するなら、軍の慰安所もやめてしまったらどうだ、との反対意見が二課(情報)から出て、結局沙汰やみとなった。・・・むろんピー屋(赤線)へも通った。はじめのうちは軍のピー屋へ行ったが、なにしろそこは兵隊が門前に行列しているありさまだ。 |
証言者 | 本田忠尚 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 陸軍特別見習士官 |
資料タイトル | 茨木機関潜行記 |
著者、公文書発信者など | 本田忠尚 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1988.2.20 |
発行所 | 図書出版社 |
ページ | 12-14、74 |
出典備考 | |
備考 |