証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報地名特定不可能
資料にある地域情報シンガポール
慰安所があった時期1943年
記載内容父は落馬後、公務員をやめて大邱で代書人になりました。私は家の仕事に興味があったので、学校には行きませんでした。16歳の時、友達と一緒に写真を撮りに行った帰りに日本語を話す3人の男に2人共捕まり、トラックに乗せられました。大邱駅で列車へ。貨物船の船旅、トラック、列車と長い旅の途中で友達と引き離され、ずっと泣いていました。ソズに着いたら将校に強かんされ、それから毎日10-13人の兵隊の相手をさせられました。消毒液を飲んで自殺を図りましたが、死ねませんでした。南京、そして1943年にはシンガポールに約10人の少女と連れて行かれました。虫垂炎、結核、腎臓病、子宮がんを患いました。戦争が終わると兵士はどこかへ行ってしまい、私達は森を切り開き、草から作ったスープで生き延びました。シンガポール米軍の助けで、朝鮮へ戻り、9年ぶりに家へ帰りました。32歳の時に父が、33歳の時に母が亡くなり、独身だった私は、3人の子がいる男と出会い、一緒に暮らしました。子どもは産めず、育てた3人を養子にしました。中国で私を見たという人が出て仲が悪くなり、1981年に関係を全面的に解消し、子ども達とも連絡を断ちました。
証言者金相喜
証言者属性朝鮮人被害者
部隊名
資料タイトル国際法からみた「従軍慰安婦」問題
著者、公文書発信者など国際法律家委員会
公文書宛先
発行日1995.3.15
発行所明石書店
ページ117-122
出典備考
備考
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