証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報地名特定不可能
資料にある地域情報シンガポール
慰安所があった時期
記載内容私は3人兄弟で、姉と弟がいます。母と父は、子どもの頃に亡くなりました。19歳の時、おばさんの家に行く途中で、男2人から「工場に行って働けば、お金が儲かる」と言われました。お金を稼ぎたいと思ったのでついて行き、釜山から30人位の女達と船に乗りました。着いた所はシンガポールで、船に乗った女達と一緒に平屋建ての家まで行きました。「アキコ」と名付けられ、部屋に名前を貼り、軍人が気に入った所に入りました。来ると泣きながら「これから戦いに行く、元気でいろ」と言い、また来る人はいませんでした。戦いに行って死んだのだと思うと怖くてたまりませんでした。性病検査があり、性病にかかっていなくても606号の注射を打たれました。1人で生きるつもりでしたが、22歳で結婚しました。シンガポールでのことは話しませんでした。他人の畑を手伝って生計を立て、夫は暴力を振るうこともあり苦労しました。息子が2人、娘が4人います。子ども達には話をしました。死なずに帰って来てよかったと言いながら、人に知られたら恥ずかしいから誰にも話すなと言われました。すべてを奪われたのに、恥ずかしいと言われ辛かったです。水曜デモに行ってみたいです。
証言者黄善順
証言者属性朝鮮人被害者
部隊名
資料タイトルある日本軍「慰安婦」の回想 3 『中央大学論集』 第34号
著者、公文書発信者など吉見義明
公文書宛先
発行日2013.3
発行所中央大学論集編集委員会
ページ147-165
出典備考
備考
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