出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | バンコク |
資料にある地域情報 | バンコック |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 首都であるバンコックは全くといってよい程、戦争を感じさせない穏やかで賑わい豊かな街である。・・・兵站司令部より、週1回の外出許可が出された。・・・私達の行った慰安所は少し小高い丘の中腹に在った様に思う。私の目の前に在る慰安所は、長屋作りで部屋が五つか六つに仕切られていて、仕切り壁は外壁と同じくアンペラ(竹ひごで編んだ筵)であった。・・・此処は三畳程しかない。調度品もなく唯、敷毛布一枚に枕が二つ在るだけの殺風景な部屋である。・・・この三人の遊びの金は会計として私が預かっていて、二人の慰安婦の代金(一人1円50銭)も此の中から支払われ、・・・ |
証言者 | 石橋藤二 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第18師団(菊)歩兵第56連隊要員として久留米西部第48部隊に |
資料タイトル | 最後の陸軍記念日 |
著者、公文書発信者など | 石橋藤二 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1986.3 |
発行所 | 私家版(佐賀県藤津郡) |
ページ | 93-99 |
出典備考 | 日本の戦争責任資料センター『季刊戦争責任研究 第3号』1994春 |
備考 |