出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | ハイフォン市 |
資料にある地域情報 | ハイフォン |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 1939年19歳の時「処女は全員出るように」と朝鮮人が私を含む7人の女性をトラックに載せました。着いた先は漢口の近く、ワタナベ部隊の兵士3000人がいる駐屯地で、150番「イシカワキヌエ」(後にヨシコ)という名の「慰安婦」にされました。約1年後に漢口に移動し、さらにベトナムのハイフォンに移りました。兵站のあったハイフォンではタカホテルが慰安所で、部屋が40ほどあり、一つの部屋に女性7名が入りました。お小遣いで果物を買い、週1回の性病検診の際に乗る人力車代を払いました。1941年以降に爆撃が始まり、2-4km離れた山や海まで逃げ、銃や手榴弾の訓練やケガの手当の練習もさせられました。戦争終了時、2人が死亡し生き残ったのは5 人でした。 |
証言者 | 石福順(仮名) |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | 渡辺部隊 |
資料タイトル | 強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち5 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊問題対策協議会2000年日本軍制奴隷戦犯女性国際法廷韓国委員会・韓国挺身隊研究所 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2001.12.15 |
発行所 | プルピッ |
ページ | 79-110 |
出典備考 | |
備考 |