| 出典種別 | 被害証言 |
|---|---|
| 現在の地域情報 | 中部ルソン地方 パンパンガ州 アラヤット |
| 資料にある地域情報 | アラヤット中央小学校 |
| 慰安所があった時期 | |
| 記載内容 | 1943年、私の村では日本軍とゲリラの戦闘があり、日本兵がたくさん殺され、劣勢だった日本軍は怒って、見かけた村人を片っ端から連行していました。私も捕まり、アラヤット中央小学校に連行されました。放してくれと泣いて懇願しましたがダメでした。食事も与えられず、その夜、3人の兵士がやってきて暗い部屋へ移動させ、強かんされました。2人目が強かんし始めたとき、気を失いました。12歳だったからだと思います。その後、殴られ、強かんされ、昼は食事の手伝いをする毎日でしたが、母がフィリピン人のメディナ氏に頼んで2か月後に解放されました。メディナ氏は日本兵の遺体を埋める役割をしていたので、日本軍と関係がよかったからです。 |
| 証言者 | レティ・ギント |
| 証言者属性 | フィリピン人被害者 |
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | Justice with Healing |
| 著者、公文書発信者など | The Lolas Para sa Kapayapaan at Kumpensasyon |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 2007 |
| 発行所 | 私家版 |
| ページ | 85-88 |
| 出典備考 | |
| 備考 |