出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | マニラ首都圏 マニラ市 |
資料にある地域情報 | マニラ |
慰安所があった時期 | 1941年12月 |
記載内容 | 昭和16年4月、まだ15歳の頃でした。「旅館の手伝い」ということで、台湾のTへMから、もう一人の娘さんと二人で行きました。私たちを連れていったのは宮崎県の人でした。初めは、たしかに旅館のようなところで雑用みたいな手伝いをしていました。ところが、12月8日、太平洋戦争が開戦になると、12月15日頃でしたが、軍の命令ということで「S」という船で、10人ほどがフィリピンのマニラに行かされました。まさか慰安婦にさせられるとは思いませんでした。フィリピンではM島のZというところに昭和17年までいました。 |
証言者 | 四国地方 女 65歳 |
証言者属性 | 日本人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 証言「朝鮮人従軍慰安婦」第二集 |
著者、公文書発信者など | 日朝協会埼玉県連合会編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.4.15 |
発行所 | 日朝協会埼玉県連合会 |
ページ | 26 |
出典備考 | |
備考 | M島はミンダナオ島で、Zはサンボアンガか? |