出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | マニラ首都圏 マニラ市 |
資料にある地域情報 | マニラ |
慰安所があった時期 | 1944年11月 |
記載内容 | エンジンなどの故障でマニラのニコラス飛行場(基地)に不時着したところ、編成中の特攻隊に一人欠員があるということで、急きょ私が代わりを務めることになった。・・・マニラの先任指揮官は第一航空艦隊司令長官の大西瀧治郎中将で、直接、ニコラス基地の指揮をとっていた。正午過ぎ、艦隊司令部で特攻隊の命名式が行われ、私は尾辻是清中尉が指揮する梅花隊と聖武隊で、爆装機の直接・戦果確認機の隊長を務めることになった。・・・数日後、小雨が降り止まず、待機が解かれた。退屈しのぎに台湾出身の慰安婦15、6人がいるという慰安所周辺を歩いていると、建物の裏口に隊長が立っていて私の足音に気づき、「静かに」と言う。板壁の向こうで5、6人の搭乗員と同数の慰安婦たちがトランプ遊びに興じていた。 |
証言者 | 角田和男(5期) |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 生と死を凝視した26人の記録 等身大の予科練 戦時下の青春と、戦後 |
著者、公文書発信者など | 発行人/岩波嶺雄 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2002.10.18 |
発行所 | 常陽新聞社 |
ページ | 21-22 |
出典備考 | |
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