出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | マニラ首都圏 マニラ市 |
資料にある地域情報 | マニラ |
慰安所があった時期 | 1942年3月 |
記載内容 | 昭和17年の3月頃になると、婦女子がそろそろ隠れ場所から町や村に帰りはじめた。・・・高見中尉殿が、「藤原君、遊び相手の女を探してくれたまえ。兵士たちが間違いを起こすと困るから是非頼む」と相談を持ち込まれた。カピテ軍港を偵察しての帰途だった。・・・昭和17年も半ばになっていたように思うが、安藤隊はマニラ集結の命令を受けた。・・・市内は人でごった返していた。半袖姿の日本兵の気抜けしたようなのんびり顔がよく目についた。兵隊専用の慰安所が何ヵ所か開かれていたが、朝鮮女性がほとんどで数も相当いるらしかった。 |
証言者 | 藤原則之 |
証言者属性 | 日本人兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 乱世の比島移民 ありし日の常夏の空と大地 |
著者、公文書発信者など | 藤原則之 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1994.9.22 |
発行所 | MBC21 |
ページ | 65-67, 70 |
出典備考 | |
備考 | 『在留日本人の比島戦 フィリピン人との心の交流と戦乱』と改題し光人社NF文庫から2007.3.12に刊行。この資料では67-71p |