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資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報マニラ首都圏 マニラ市
資料にある地域情報マニラから少し離れた名前も知らない田舎
慰安所があった時期
記載内容18歳の時、7人姉妹の上の姉から「病院での仕事があるらしい」と誘われ一緒に釜山に行き、集まった女性達と船に乗りフィリピンに行きました。着いたのはマニラ郊外の病院の近くにある慰安所でした。連れて来た日本人の管理人に何度も抗議をしましたがどうにもなりませんでした。番小屋のような小さな家が5、6軒あり、1つの家に5人が入り、部屋には入ったらすぐベッドがありました。慰安所に来る軍人は陸軍で、一切秘密でした。軍人が来る時、お金や軍票のようなものは一切なく、ご飯を食べさせてくれるだけで、服も自分のものを何度も洗って着ました。何ヵ月が過ぎ、米軍の爆弾が落ちた翌日、病院の院長が20名程の軍人と私達を連れて山の中に逃げました。食糧がなくなると私達5名と日本人は別れました。途中で、負傷兵が「海に行け。米軍が訊問したらコリアと言え」と教えてくれ海辺に行き1 ヵ月近くいました。ある日、船が来て私達は助けられました。慰安所には8ヵ月、山の中にはおよそ6ヵ月いました。米軍に訊問され、捕虜収容所に入れられました。
証言者金ソラン(仮名)
証言者属性朝鮮人被害者
部隊名
資料タイトル証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集 II 南・北・在日コリア編・下
著者、公文書発信者などアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」
公文書宛先
発行日2010.5.25
発行所明石書店
ページ177-208
出典備考韓国挺身隊研究所・韓国挺身隊問題対策協議会『強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち3』1999.10.15ハヌル48~68も参考
備考
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