出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 西ビサヤ地方 西ネグロス州タリサイ |
資料にある地域情報 | タリサイ |
慰安所があった時期 | 1944年11月 |
記載内容 | 1944年のある日・・・米軍がまもなくやって来るというニュースが広がってから、日本軍はとても残酷になりました。・・・日本兵は女性たちを捕え、日本軍の駐屯地にしていたタリサイ製糖工場(タリサイ町中心部に位置)に連行されました。1944年の10月か11月、母親と一緒に市場で鶏と卵を売っていた時、トラックに乗った多数の日本兵がやって来ました。・・・不運にも、日本兵に捕まったしまい・・・トラックに無理矢理乗せられました。・・・高く鉄条網が張り巡らされた駐屯地に到着すると、私はその敷地内にあった家の一室に押し込められました。・・・1時間ほどして、私は日本兵にレイプされました。また、別の日本兵にレイプされ、その後はいったい何人の兵士にレイプされたのか分かりません。私は抵抗し、頭を殴られて気を失ってしまいました。再び意識を取り戻すと、もう日本兵はいませんでした。・・・3日目に、日本兵たちが戻って来て、私をレイプしました。3週間の間、私は無理やりそういう状況に置かれ、後で殺されるのではないか恐れました。昼間は家の掃除や日本兵の服を洗濯させられました。 |
証言者 | エステリータ・バスバーニョ・ディ |
証言者属性 | フィリピン人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 第12回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議資料 |
著者、公文書発信者など | 第12回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議実行委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2014.5.31 |
発行所 | 私家版 |
ページ | 8 |
出典備考 | 支援団体「リラ・ピリピーナ」による提供 |
備考 |