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資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報中部ビサヤ地方 セブ州 セブ
資料にある地域情報セブ
慰安所があった時期
記載内容19歳の時、働いていた南港の工場に、日本人がフィリピンでの看護婦募集に来て、私も選ばれました。20歳未満の海外渡航は親の同意が必要で、養父は日本人に半ば脅迫され判を押しました。台北市の台南館に集合し、7、8人と一緒に基陵港で海軍の船に乗る前に、20名の女性を連れた日本人女性が点呼をしました。1週間後セブ島に到着。台湾人兵士が点呼をとり「なぜ来たのか」と聞かれ「看護婦をしにきた」と答えると、「看護婦じゃない、慰安婦だ」と。「ナミコ」と名付けられました。月経の時以外は休めない地獄の日々でした。定期的に医師の検診があり、コンドームを使わない兵士を管理人に訴えたので、妊娠はしませんでした。夜10時になると「ミツエ」の部屋から台湾の歌が聞こえてきました。セブ島に着いて1年もたたないころ、米軍の攻撃が激しくなり、食べ物もない逃避行で大勢が死にました。日本兵は、衰弱して邪魔になった者は簡単に銃殺しました。日本が降伏した後は米軍の収容所に入れられ、1945年末に台湾に戻りました。
証言者陳蓮花
証言者属性台湾人被害者
部隊名
資料タイトル第11回特別展カタログ 「台湾・『慰安婦』の証言 日本人にされた阿媽たち」
著者、公文書発信者などアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)
公文書宛先
発行日2014.3
発行所
ページ22
出典備考著者(朱徳蘭)訪問記録 台北市婦女救援基金会整理 『台湾慰安婦調査資料』『日據時代台湾戸籍資料』より著者が作成。
備考
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