| 出典種別 | 被害証言 |
|---|---|
| 現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
| 資料にある地域情報 | M島のZ |
| 慰安所があった時期 | 1942年 |
| 記載内容 | 太平洋戦争が開戦になると、12月15日頃でしたが、軍の命令ということで「S」という船で、10人ほどがフィリピンのマニラに行かされました。 まさか慰安婦にさせられるとは思ってもいませんでした。フィリピンではM島のZというところに昭和17年までいました。慰安所では、昼は兵隊の、夜は将校の相手をさせられました。また定期的に軍から検診をされましたが、まるで物を扱うようでした。戦況の関係でしょうか、その後フィリピンを引き揚げシンガポールを経て、香港に行きました。・・・昭和20年、終戦とともに日本に引き揚げてきましたが(K港に入港)その時一緒に帰ってきた人は、長崎県3人、鹿児島県1人、沖縄の人も2人いました。 |
| 証言者 | 四国地方 女 65歳 |
| 証言者属性 | 日本人被害者 |
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | 証言「従軍慰安婦」―ダイヤル110番の記録― |
| 著者、公文書発信者など | 日朝協会埼玉県連合会編 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 1995.8.15 |
| 発行所 | 日朝協会埼玉県連合会 |
| ページ | 67 |
| 出典備考 | |
| 備考 | ミンダナオ島のサンボアンガと思われるが断定できない。 |