出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 黒龍江省 黒河市 愛輝区 |
資料にある地域情報 | 新璦琿 |
慰安所があった時期 | 1944年4月16日 |
記載内容 | 4月16日(日)この日は僕の初外出の日となった。・・・慰安所へ行きてえんだ……とぬかす。これはとんでもないことだと芥川を責めたが、哀願するように頼むのを不本意ではあったが聞き入れてやる。・・・新璦琿の街の中には、軍の管理下にいわゆる慰安所が二ヵ所ある。・・・通常兵力六千名になる国境守備隊の兵士の為と称し、将校用慰安所(これは日本の女性)と兵・下士官用慰安所(これは朝鮮の女性)の二ヵ所である。・・・前者に5名、後者には20名の慰安婦がおるという。場所は部隊から新璦琿駅へ向かう街の入口にあたるところに将校用のやつがあり、駅の西にあたる軍人会館近くに兵・下士官用のものがある。・・・何故こんな所に来るようになったのか聞いてみると……「そとくふ(たぶん朝鮮総督府のことだろう)から村(邑かも?)の駐在へ話があって、満州へ行くと若い娘でも金になると聞かされて……」と言いながら「馬鹿ヨ……ダマサレたネ……」。 |
証言者 | 深谷市 桜井信治 68歳 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 証言「従軍慰安婦」―ダイヤル110番の記録― |
著者、公文書発信者など | 日朝協会埼玉県連合会編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995.8.15 |
発行所 | 日朝協会埼玉県連合会 |
ページ | 33-35 |
出典備考 | 桜井信治「1944年戦中日記」 |
備考 | 『満州帝国分省地図』にアムール河のすぐ西の黒河街南に「愛琿」があり、その南西方向の鉄道(北黒線)に「愛琿」駅がある。前者が古くからの「愛琿」、後者が駅としての「愛琿」である。この後者の「愛琿」駅を中心に日本人街が発達し、ここが「新璦琿」と呼ばれた。現在の地図の黒竜江省北部、アムール河の西岸沿いに黒河市がある。新璦琿は旧日本軍が命名した地域であり、現在の中国の行政区画ではとられていない。ここでは上位の行政区画である愛輝区でとった。 |