出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 黒龍江省 斉斉哈爾市 |
資料にある地域情報 | チチハル |
慰安所があった時期 | 1942年7月 |
記載内容 | 日曜日に私達初年兵にも楽しい外出許可が出た。もち論、団体外出だ。・・・機関銃の内務係大橋曹長が独特の栃木なまりの大橋節で「お前達、外出したなれば絶対に支那人に近づくな。支那人の飲食店に入るな。暴飲暴食すんな。慰安所へ行ったれば必ず突撃一番(コンドーム)を使用せよ。突撃一番の無き者は申し出よ」と、長々と御説教する。初年兵には関係ない事ばかりだ。初年兵が慰安所や飲屋へ行ったら半殺しにされる。チチハル市街は道路が舗装されていないので砂埃がすごい。・・・ 3月末、6か月間の国境警備の任務が終わって、チチハルの屯営に帰隊した。・・・私の行先はピー屋以外にない。いつまでも初年兵でもあるまい。竜沙公園で飴をなめてもいられない。第一、第二、第三と慰安所を回ったが、どこも超満員で、仕方なく第三慰安所に入った。満員の兵隊で歩く事もままならない。どの部屋の前も行列だ。・・・一人3~5分くらいで処理してゆく。そして、私の番だ。部屋に入り、巻脚絆を外し始めるとピーがもう片方を外す。その隣りで今終わった兵隊が忙しそうに脚絆を巻いている。ピーは皆やせているが、このピーは小肥りで裸の上に浴衣をひっかけていた。無言のまま料金を払い、素早く処理した。ピーは洗浄にも行かず、ほうきで掃き始める。早く帰れという合図だ。まごまごしていると、次の奴が上がってしまうから、大急ぎで部屋を出なければならない。共同便所だ。 |
証言者 | 松本正嘉 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | わが太平洋戦記 |
著者、公文書発信者など | 松本正嘉 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2001.1.20 |
発行所 | 私家版(札幌市) |
ページ | 90-91, 148-149 |
出典備考 | 証言者は、チチハル→周水子(関東州)→梨樹鎮→チチハル→大連と駐屯地を移動している。上記証言は最初と、その後のチチハルでのこと。 |
備考 | 現在の地図の黒竜江省の西端に斉斉哈爾市(チチハル市)がある。 |