出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 黒龍江省 鶏西市 虎林市 |
資料にある地域情報 | 虎林 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 暮らしに困って14歳のときから3年間地主の子守をし、さらに3年間ゴム工場で働いた。その後、平壌市外城区域の柳京食堂に務めたが、女給服をこしらえるなどして主人に借金をし、結局500円で売られて中国へ行った。19歳のときで、売られた数人の娘と汽車で中国の牡丹江を経て虎林に着いた。そこには30~40人の娘がいた。めいめい1部屋ずつあてがわれたが、一切お互い話をすることが禁じられ、食事も別にしたので、誰がなにをしているかまでわからなかった。「慰安所」は長さ9~10m程度で、廊下の両側に部屋があった。せいぜい2人が横になれるほどの広さだった。朝から晩まで10~15人の日本兵を相手にすると、目の前が黄色くなり、骨の節々が痛くて動くのがおっくうだった。反抗したり拒んだりすると容赦なく殴られ、殺されさえした。週1回、日本軍医の検診を受けた。日本軍は敗亡後私たちを捨てて逃走した。26歳のときのことで、私は恥ずかしくて故郷に帰れず、平安北道雲田郡で暮らした。2年後結婚したが、「従軍慰安婦」生活が災いして子どもを産めなかった。 |
証言者 | 朴福実 |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 踏みにじられた人生の絶叫 |
著者、公文書発信者など | 「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995 |
発行所 | 「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会 |
ページ | 30 |
出典備考 | |
備考 | 現在の地図の鶏西市の東方に虎林市がある。 |