出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 黒龍江省 鶏西市 滴道区 |
資料にある地域情報 | 滴道 |
慰安所があった時期 | 1942年10月-1943年10月 |
記載内容 | 私が昭和17年10月から18年10月までを過ごした旧満州、半載河の駐屯地には、富士屋、花屋、蘭、他に屋号を忘れましたがもう1軒を加えて全部で4軒の、現在で言うところの「慰安所」があった。当時「慰安所」という言葉はなく兵隊たちはこれらの店を親しみをこめて「ピー屋」と呼んでいた。後で考えると多少差別的な呼称であったかもしれないが、当時の兵隊にそんな意識はまたくなく、軍隊共通語であった。林口、滴道、鶏寧など東満地方の「慰安所」は共通したものであった。 |
証言者 | 木和田武司 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 山砲兵第15連隊第871部隊 |
資料タイトル | わが青春の迎春花 山砲と兵隊 |
著者、公文書発信者など | 木和田武司 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2000.8.5 |
発行所 | 出版記念祝賀の会実行委員会 |
ページ | 156 |
出典備考 | |
備考 | 『満州帝国分省地図』の鶏寧街の西に滴道街がある。鶏寧市は現在の鶏西市である。現在の地図では滴道街は鶏西市滴道区である。 |