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資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報黒龍江省 牡丹江市
資料にある地域情報牡丹江
慰安所があった時期1936年4月
記載内容18歳の年の1936年4月のある日、私の家に区長がやってきて、儲けのよい工場に斡旋してやると言うので、日本人の車に乗せられて駅に行った。そこには20余人の朝鮮女性が集まっていた。そのときから私たちは日本軍の監視を受け自由に出歩くことも、質問に答える以外はしゃべることも禁じられて汽車に乗せられた。4~5日して着いたのが中国の牡丹江だった。そこには日本人が経営している軍需工場があった。・・・そこにあった「従軍慰安所」で日本軍の「性奉仕」を強要されたのである。その平屋には2人がやっと横になれるほどの部屋がいくつかあり、床にはむしろが敷いてあった。私は毎晩15~20人の日本兵を相手にしなければならなかった。反抗してもむだだった。獣欲を満たそうとする日本人の要求に応じないと、かれらは軍刀を抜いて、「おまえらは日本のはしためだ。はしためが主人に盾ついたらどうなるかわからんか。この虫けらのようなあまめ、服を脱げ」とおどした。日曜日には将校がやってきたが、その日はいつもより多くの軍人に応じなければならなかった。・・・「慰安所」では半月に1度検診を受けたが、病人は容赦なく殺してどこかへ捨てられた。朝鮮の女性たちは「慰安所」で肉体的苦痛や栄養失調で病死したり、反抗してなぐり殺されたりした。ある日、私の隣室の英子が日本兵の腕に噛みついて反抗した。日本兵らはその日の夜、私たちを庭に集め、彼女を八つ裂きにして殺した。死ぬに死なれず、汚辱にみちた日々を送っていた私は、1943年7月、「慰安所」から脱出し、ある朝鮮人の家で仕事の手伝いをしながら生きのびた。
証言者黄小均
証言者属性朝鮮人被害者
部隊名
資料タイトル踏みにじられた人生の絶叫
著者、公文書発信者など「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会
公文書宛先
発行日1995
発行所「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会
ページ59-61
出典備考
備考 現在の地図の黒竜江省南部に牡丹江市がある。
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