出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 黒龍江省 牡丹江市 |
資料にある地域情報 | 牡丹江 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 家は貧しい農家で、ヒエを食べやっと暮らしていました。ミヤモトという人が工場で働くと儲かると勧めたので、ついて行きました。他の2 人の少女と一緒に連れて行かれた先は、中国東北地方の牡丹江でした。3m×1.5m の部屋に入れられ、「タケコ」と呼ばれました。最初のうちは1 日5-6 人でしたが、多い時には15 人もの相手をさせられました。気絶して気がつくと再び襲われました。妊娠したら、軍医によって胎児ごと子宮を切り取られました。傷口がふさがると、またすぐに兵隊の相手をさせられました。へその上から下まで、その時の傷跡は大きく残っています。夫が亡くなった後1997年12月に名乗り出ました。 |
証言者 | ユ・ソノク |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 平壌からの告発 |
著者、公文書発信者など | 伊藤孝司 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2001.7 |
発行所 | 風媒社 |
ページ | 40-42 |
出典備考 | |
備考 | 現在の地図の黒竜江省南部に牡丹江市がある。 |