出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 黒龍江省 牡丹江市 東寧市 東寧鎮 |
資料にある地域情報 | 小城子(満ソ国境の綏芬河の近く) |
慰安所があった時期 | 1942年4月 |
記載内容 | 17年2月、私が三沢班長と林二年兵に従って派遣された小城子は、ソ満国境の綏芬河より50キロメートルほど西寄りの小さな町であった。独立守備中隊の兵舎の一隅を借りて、小高い山に設置した標示灯を監視するのんきな任務である。この町に着いて2ヵ月目の日曜日、3人ははじめて町に出た。町といっても、駅の近辺に満人と朝鮮人の商店がわずかに点在する聚洛で、町の外れに日本軍相手の慰安所があった。・・・雑貨屋の扉を押して、5勺入りブリキ製容器で高粱酎を3杯ほどあおると、体がほてりりだした。私はその勢いで慰安所の門をくぐった。・・・女は又春といった。・・・彼女の育った家は、別に貧しくもなかったが、町の世話人のすすめで、満州女子奉仕隊に応じたという。彼女はその時19歳であった。しごとは、日本兵の衣類の繕い物から洗濯などで、月給は住つきで100円、支度金の欲しい者には30円の前渡しという触れ込みであった。彼女には恋人がいた。1年働けば金も貯まる。その時帰って結婚しようと、恋人に心を引かれながら国を発ったという。来てみて、事の意外さに動転したが、何事もあとのまつり。 |
証言者 | 友清高志 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | ルソン死闘記 |
著者、公文書発信者など | 友清高志 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1973.8.2 |
発行所 | 講談社 |
ページ | 64-65 |
出典備考 | |
備考 | 『満州帝国分省地図』に、東寧街の直ぐ西に「小城子」がある。本文に綏芬河の50キロほど西とあるが、もしこれが綏芬河市という意味であれば南の間違いではないだろうか。直線距離で約40キロであるが。また綏芬河という河の意味であれば、小城子のそばを綏芬河は流れている。いずれにしろ、旧地図では、ソ満国境から西方向に5キロほどの所に小城子がある。現在の地図に小城子の地名は見えず。現在の地図と旧地図とを比較すると、小城子は現地図の東寧鎮付近と思われる。ここでは東寧鎮でとった。 |