出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 黒龍江省 牡丹江市 東寧市 |
資料にある地域情報 | 東寧 |
慰安所があった時期 | 1942年5月11日 |
記載内容 | 5月11日 月曜 入隊いらい初の普通外出。・・・古年兵はピー屋(公営の女郎屋)に直行する、眼の色を変えて……。軍人クラブで越井と飲み、酔ってその1軒を覗く。・・・ 東条陸相が「最後の御奉公だ」と意気ごんで、関東軍がソ連軍との乾坤一擲の決戦を試みようとした《渋柿主義》が消え去り、ソ満国境が膠着状態に入ると、関東軍原善四郎参謀は全軍将兵の士気を維持するため、次の計画に乗り出した。それは「兵隊の欲求度、持ち金、女性の能力などを綿密に計算して、飛行機で朝鮮にでかけ、約1万(予定は2万)の朝鮮女性をかき集めて北満の広野に送り、施設を特設して《営業》させた」という(『関東軍』島田俊彦著)。この影響か、東満の東寧の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりでなく日本女性も、将校用の飲食店で《営業》していたことはたしかだ。わたしは一等兵に進級したある日、戦友の一人と酔うままに施設を覗き歩いたことが、ただ一度あった。施設の全部は藁筵で囲まれた粗末な小屋で、3畳ぐらいの板の間にせんべい蒲団を整き、そのうえに仰向けに横になった女性の姿を見たとき、私の心には小さなヒューマニズムが燃えた。1日に何人の兵隊と《営業》するのか。外に列をつくっている兵隊たちを、1人1人殴りつけてやりたい、義憤めいた衝動を覚え、その場を立ち去った。これらの朝鮮女性は「従軍看護婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で《営業》するとは思ってもいなかったという。 |
証言者 | 長尾和郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 関東軍軍隊日記 一兵士の生と死と |
著者、公文書発信者など | 長尾和郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1968.11.1 |
発行所 | 経済往来社 |
ページ | 66、71 |
出典備考 | 注:奥付の著者経歴に「17年横須賀東部第75部隊に入隊。のち関東軍東寧第390部隊、旅順、満州1217部隊を点々」とある。 |
備考 | 奥付の著者経歴に「17年横須賀東部第75部隊に入隊。のち関東軍東寧第390部隊、旅順、満州1217部隊を点々」とある。 |