出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 黒龍江省 牡丹江市 東寧市 石門子村 |
資料にある地域情報 | 石門子部落 |
慰安所があった時期 | 1940年 |
記載内容 | 上等兵に進級して、初めて古参上等兵と一緒に外出した。・・・営門を出ると、古参上等兵が話しかけた。「慰安婦が『この前来た時もチョートーヘイ(上等兵)、今度来た時もチョートーヘイ、あんた、いつコチョー(伍長)さんになるとね』」と言いやがった。今日はどう言うかね」彼はニヤニヤしながら途中から別れ、慰安婦の待つ日本人部落へ急いだ。・・・ 昭和15年、通信中隊に所属した最初の俸給日に、戦友の上等兵から、「今度外出して遊びに行こうや、面白いところがあるぞ」と誘われた。つまり慰安所のことである。日本人部落は慰安婦で賑わっていたが、当時私は外出を一度もしたことがなく、そんなところは知りもしない。外出する気もないし、一応断った。国境の一部落にすぎない石門子部落が、この頃になると3個連隊が駐屯していて1万名以上の兵がおり、満人部落には姑娘(中国人の若い女性)もいたし、日本人部落、官舎と、結構一般民家の家なみもあり、日曜日などにはちょっとした軍都ともいえる賑わいをみせていた。 |
証言者 | 吉田悟 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 通信中隊 |
資料タイトル | 激戦のビルマ、鎮魂の長崎 ある通信兵が辿る満州から南方戦線、そして故郷 |
著者、公文書発信者など | 吉田悟 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995.8.15 |
発行所 | MBC21 |
ページ | 71-72、75 |
出典備考 | |
備考 | 1940年頃の石門子の様子はアジア歴史資料センター:C01003583800の0272を参照のこと。接客業者は石門子官舎西方に居住し日本人部落を形成している旨記載。/『満州帝国分省地図』のロシア国境付近、東寧の南方に石門子がある。石門子は各地にあるが、東寧の南方にある石門子と思われる。現在の地図で同所は石門子村である。 |