出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 黒龍江省 牡丹江市 東寧市 綏陽鎮 |
資料にある地域情報 | 東北地方 牡丹江を過ぎ、綏陽というところ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 19歳の年のある日、地主が中原という日本人を招いて酒席をもうけたが、中原はさも私の境遇に同情するかのように「金儲けのできるところへ連れて行ってやる」と言った。あとでわかったことだが、地主は酒席で中原に私を売り飛ばしたのであった。中原に連れられてある家へ行くと、娘が1人いた。全羅道から金を稼ぎに来た金栄子という娘で、彼女も中原の口車に乗せられたのだった。・・・中国の牡丹江を過ぎ、綏陽というところの「慰安所」に着いたとき、私はもう生きては故郷の土を踏めないところへ来てしまったと知った。そこで私は多摩子、栄子は美智子という日本名で呼ばれ、べニア板で仕切った小部屋に閉じ込められた。聞くところによると、この「慰安所」にはすでに25人ほどの朝鮮女性が連れられてきて辱めを受けており、私たち2人は日本人に虐殺された娘たちの補充として連れ込まれたという。その夜から私が受けた恥ずかしさや苦しみはとても口では言い尽くせない。「慰安所」の庭はいつも日本兵でいっぱいだった。かれらは他人より先に欲情を満たそうと争っていた。ある日、日本兵は私が言いなりにならないと、髪の毛をつかんで投げ倒し、全身を噛んだり、つねったりした。そして軍刀のみねで私の頭をなぐた。頭から血が吹き出したが暴行は続いた。外で「早く出てこい」という怒鳴り声が何度も聞こえたが、かれはおかまいなく私の服を歯で食いちぎり、軍刀で履物をめちゃくちゃに切りきざんだあと、獣欲を満たした。 |
証言者 | 李春花 |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 踏みにじられた人生の絶叫 |
著者、公文書発信者など | 「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995 |
発行所 | 「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会 |
ページ | 66-67 |
出典備考 | |
備考 |
『満州帝国分省地図』の東寧街の北西、綏芬河街の西方に「綏陽街」がある。現在の地図の同所は綏陽鎮である。テキサス大学図書館公開の地図は次のサイトを参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/manchuria/txu-oclc-6614368-nl52-12.jpg |