出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 吉林省 延辺朝鮮族自治州 琿春市 草坪村 |
資料にある地域情報 | 東北 中草坪 |
慰安所があった時期 | 1942年 |
記載内容 | 私たちが二道関、望潮山と廻っている間に、中草坪の旧通信隊跡に、軍指定の慰安所が出来ていたのでした。いわゆる、外出を許可した延長施策の一環というところだったわけでしょう。この慰安所には、10人たらずの朝鮮人慰安婦が配属(?)されていましたが、これを保護する意味で、下士官を長とする4名の深夜巡察が行われていて、私も一度今野軍曹に従いて、夜中の1時から出かけていったことがありました。・・・外出証を持った兵隊が営門を出て左に向へば、即ち慰安所行きだと、一見して判るような場所に設置したのは、いかにも、仏作って魂入れず式の杜撰(ずさん)な官僚的やりかたで、私たちが除隊した後に、これが土門子の街中に移されたことは、慰安所のなりたちが象徴していた人権、民族問題などを別にすれば、かたちの上で、まあよかったことになるでしょう。 |
証言者 | 諏訪弥佐吉 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | あゝわれらが青春 東満国境ある記 |
著者、公文書発信者など | 諏訪弥佐吉 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1980.5.18 |
発行所 | 私家版(新潟県長岡市) |
ページ | 203-207 |
出典備考 | |
備考 |
『満州帝国分省地図』及びテキサス大学図書館公開の旧満州地図には「中草坪」はない。後者には草坪はあるが。外邦図「東興鎮」10万分の1の地図に、東興鎮を挟んで、北に「中草坪」が、南に「土門子」がある。草坪は北から順に、上草坪、中草坪、下草坪に分かれている。土門子は各地にあり、敦図線沿線にもあるが、証言の土門子は東興鎮の南の土門子であろう。いずれも琿春市の地域の北東の旧ソ満国境付近である。当時は間島省内であった。「東興鎮」10万分の1の地図とテキサス大学図書館公開地図を比較すると、山河の地形から見て、中草坪がテキサス大学の地図の草坪に相当する位置である。テキサス大学図書館公開地図は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/manchuria/txu-oclc-6614368-nk52-3.jpg |