出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 内モンゴル自治区 フルンボイル市 海拉爾区 |
資料にある地域情報 | ハイラル |
慰安所があった時期 | 1944年10月 |
記載内容 | 街は、泥でこさえた満人用と、日本人が開発した新市街とに分かれている。人口すべて5万の街、それがハイラルだった。・・・街には軍用の大きな酒保があり、その近くには、兵たちが「ピー屋」と呼ぶ慰安所があった。・・・/おれは、そのとき一人だった。どうしてあの時分に、一人であそこにいたのか、どうにも思い出せないのだ。おれがあの慰安所の簀垂れをくぐったとき、女たちはいま食事の最中だった。・・・「あさ子です。どうぞよろしく」・・・あさ子は、江原道の日本海に面した小さな漁村の娘だった。・・・あさ子が20歳になった春、彼女の父は日本軍慰安婦の求人であることをうすうす知りながら、軍需工場の女工という名目で、あさ子を応募させたのだった。父の言葉を信じ切っていた彼女は、ハイラル市にあるこの慰安所の前に連れてこられても、まだそれとは気付かなかった。あさ子はそこを、女子工員寮とばかり思っていたのだ。 |
証言者 | 宗前鉄男 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第8国境警備隊 |
資料タイトル | 凍土の上に 私のシベリア物語 |
著者、公文書発信者など | 宗前鉄男 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2000.7.25 |
発行所 | 南日本新聞開発センター |
ページ | 219-222 |
出典備考 | 注:本文226pに「第23師団が去ったあと、第8国境守備隊の主力をもって第119師団を編成し、おれたちは、東山の野戦部隊にはいった」とあり、別資料(C12122428600)の第119師団司令部経歴には「昭和19年10月28日 興安北省海拉爾」において第8国境守備隊第23師団残置人員を基幹として編成完結」とある。上記証言は1944年10月頃と推測される。 |
備考 |
『満州帝国分省地図』に海拉爾市がある。現在の地図の内モンゴル自治区の北部、ロシア国境に近い位置にあり、現在の地図では、フルンボイル市海拉爾区である。テキサス大学図書館公開地図で旧地図を見ることができる。次を参照のこと。 https://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/manchuria/txu-oclc-6614368-nm50-9.jpg |