出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 内モンゴル自治区 包頭市 |
資料にある地域情報 | 内モンゴル 包頭 |
慰安所があった時期 | 1942年か1943年 |
記載内容 | 私の原隊は、駐蒙軍隷下の騎兵集団で、包頭に駐屯していた工兵中隊であった。・・・原隊の工兵中隊に戻ると、お前は師団司令部(その時は、戦車第三師団と昇格していた)に転属だということで、師団の経理部付となり、とうとう主計の見習士官とされてしまったわけである。経理部の経営科に所属して、建築を出ているということで、野戦倉庫のパン釜を作らされたり、作戦が近いと言うので、野戦での仮り小屋作りの演習をさせられたりしていたのであるが、ある時経理部長に呼ばれた。「見習士官、将校用の慰安所を作ってくれ」私は驚いた、慰安所と言う言葉も耳慣れなし、だいたい見当はついたが、これはエライコトになったと正直思った。学校の時、勿論待合設計などしたことはない。しかし、命令であるので、やむを得ず学生時代の悪所通いの経験などを下にして、なんとか十数部屋の日本間をでっちあげたのである。経理部長には「良くやった」と誉められたが、何をかくそう、この業績が後々まで尾を引こうとは、神なら身、気が付くのが遅すぎたのである。 |
証言者 | 宮谷重雄 |
証言者属性 | 日本軍兵士・経理部付見習士官 |
部隊名 | 戦車第三師団 |
資料タイトル | 追憶 上巻 |
著者、公文書発信者など | 新京陸軍経理学校第五期生 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1985.3.20 |
発行所 | 新京陸軍経理学校第五期生記念文集編集委員会事務局 |
ページ | 145-146 |
出典備考 | 宮谷重雄「わが戦記・恥さらし」 |
備考 | 現在の地図の内モンゴル自治区の西側に包頭市がある。北京市の西方である。 |