出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 内モンゴル自治区 包頭市 |
資料にある地域情報 | 内モンゴル 包頭 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 母親の死後、軍服を着た軍属に会い「満州に行けば、いろんな仕事があり金も稼げるぞ」と誘われ、生活のために満州に行く決心をしました。仁川には12人の女性がいて、私は13歳で一番年下でした。背が高く早熟にみえましたが、まだ初潮はありませんでした。船で天津に行き汽車に乗り、着いたのは内蒙古の包頭でした。「朝日館」という1階建てのレンガ造りの慰安所に着いた途端、工場でなく日本兵の相手をする場所だと分かりました。すでに女性が8名いて、一緒に行った12名の朝鮮人女性をふくめて20名ほどになった。その地域には4つの慰安所があり、主人はみなピョンヤンの人だった。別の慰安所には日本人女性もたくさんいた。 |
証言者 | ペ・サムヨプ |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 中国に連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち2 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊研究所 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2003.7.5 |
発行所 | ハヌル |
ページ | 250-269 |
出典備考 | |
備考 | 朝日館/現在の地図の内モンゴル自治区の西側に包頭市がある。北京市の西方である。 |