出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 天津市 |
資料にある地域情報 | 天津 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 「であるから、今日は思い切り遊び、腰の痛くなるまでやって来い。ただし抜身は危険である。槍は常に袋をかぶしておかんといかん。で今、その袋を渡すが……」例の通り、頭半が終わると、休めの姿勢をとって、長い訓示にホッとした兵・軍属にサックが配られた。・・・配給が終わると、私は自分の班員43名に、外出許可証を配って歩いた。・・・ ようやく探しあてた靴屋でケースを修理してくれる間、5分間ほど待って、朝鮮婦人ばかりの慰安所を覗くという市平と別れると、私は特三区にやって来た。 |
証言者 | 大石操 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 徳川兵団管下24部隊に補給する部隊 |
資料タイトル | 戦争製造工場 軍属物語 |
著者、公文書発信者など | 大石操 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1956.8.15 |
発行所 | 鱒書房 |
ページ | 14-15, 49 |
出典備考 | 注:小説風ではあるが、はしがきに「この一巻は、日支事変中、特殊部落に一軍属として勤務した私の偽らざる記録である。いささかの誇張も虚構も加えていない、ありのままの姿を、ありのままの在り方で書いたもので、小説ではない」「登場人物はよかれあしかれ、すべて本名と記憶にあるだけの出征前の住所名を用いた」と記している。 |
備考 | 天津市は北京市の南東にある。 |