出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 北京市 豊台区 長辛店 |
資料にある地域情報 | 長辛店 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 私は、装甲列車部隊の衛生兵をしていました。中国の長辛店にいたときです。毎月1回、慰安婦たちの検黴をしていました。本来は、この検査は軍医がやるわけですが、その軍医は気持ちが悪いといって、衛生兵である私にやらせたのです。そこには、10軒ぐらいの慰安所があり、1軒に3、4人の慰安婦がいました。そこの慰安所を管理していたのは1人の朝鮮人のボスでした。したがって慰安婦は、30~40人ほどいたわけです。その人数を1回の検査でみるわけですから、いい加減なものでした。本来なら、梅毒の場合、血液検査をしないとわからないのですが、肉眼で診るだけです。ただれていなければパスです。 |
証言者 | 衛生兵 69歳 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 装甲列車部隊 |
資料タイトル | 従軍慰安婦110番 電話の向こうから歴史の声が |
著者、公文書発信者など | 従軍慰安婦110番編集委員会編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1992.6.15 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 56 |
出典備考 | |
備考 |
『満州帝国分省地図』の北京市中心部の南西方向、永定河を越えたところに「長辛店」がある。現在の地図の同所は長辛店鎮である。テキサス大学図書館公開の中国地図(シリーズL500、1954~)「北平」に「長辛店」が記されている。北平(北京)の南西直ぐのところである。テキサス大学図書館公開の中国地図は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nj50-2.jpg |