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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報河北省 保定市
資料にある地域情報保定
慰安所があった時期1938年-1940年
記載内容保定なんかは、京漢線のほうですよ。そういった所は、華北省のいちばん南のほうですわ。・・・師団の司令部なんかもありますしね。軍の主力がおるわけですよ。管理部あたりがね。だから、そういう所にはありましたよ。慰安所なんかもね。そういうところには比較的、要するに、朝鮮人もおれば支那人もおる。日本人も一部来ておるというようなことであったわけです。・・・私たちが野戦病院を開設する所は、戦闘部隊はそうじゃないけれども、比較的、昔でいえば町とか市とか、そういう比較的、集落でも大きい集落地帯に、野戦病院というのを作ります。・・・私たちが行った野戦病院がある地域には、必ず慰安所がありました。
証言者80歳 男 兵庫県
証言者属性日本軍兵士・衛生兵
部隊名姫路110師団野戦病院
資料タイトル性と侵略――「軍隊慰安所」84ヶ所 元日本兵らの証言
著者、公文書発信者など1992・京都「おしえてください!『慰安婦』情報電話」報告集編集委員会
公文書宛先
発行日1993.7.31
発行所社会評論社
ページ81-85
出典備考
備考 『満州帝国分省地図』の北京の南西に保定がある。現在の地図の保定市である。テキサス大学図書館公開の中国地図・石門(シリーズL500、1954~)には「清苑」が記されている。地図の上部右側である。清苑には「CH'ING-YUAN(PAOTING)」との英語表記がされ、このPAOTINGとは保定であろう。つまり清苑とは現在の保定である。テキサス大学図書館公開の中国地図・石門は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nj50-5.jpg
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