出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 河北省 保定市 易県 |
資料にある地域情報 | 河北省 易県 |
慰安所があった時期 | 1945年4月頃 |
記載内容 | 7、易県慰安所(河北省易県県城) 1945年3月30日、私達の所属する春2部隊から第2中隊が分離されて河北省定興県に移動し、ここで独立歩兵第34大隊、同じく79大隊より抽出された中隊と共に独立警備歩兵第39大隊(至武第15697部隊)が編成され、第27師団(極師団)と警備地区の交代が行われた。至武の大隊本部は易県に設置され、私達の第2中隊は第1中隊となって、神皇村東独欒(ひがしどくらん)に駐屯した。私は大隊本部の医務室が整備されるまで易県に残った。・・・高橋伍長は大隊本部の営繕担当・酒保担当となった。酒保といえば兵役の経験のある人なら誰でも知っている、ようかんや饅頭、酒や煙草を安く売ってくれる軍隊内部の売店であるが、飲食物や嗜好品の他に、もっと生ぐさい商品も売っていた。それが慰安婦である。・・・これらはすべて酒保担当下士官である高橋伍長が調達していた。高橋伍長は甘味品、嗜好品、日用品の供給施設の整備と同時に、慰安所の設営にあたることになり、大隊本部近くの民家を接収して内部改造を行い慰安婦4名を迎え入れた。いずれも朝鮮人で、20歳から25,6歳の慰安婦で、経験は2年から6,7年の者ということであった。これで酒保の全商品と設備が完成したわけである。この酒保ができて1ヵ月遅れて、内地人(日本人)による委託の酒保(慰安所)が開店した。こちらは中国人慰安婦であった。 |
証言者 | 行田市 田口新吉 78歳 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 独立警備歩兵第39大隊(至武第15697部隊) |
資料タイトル | 証言「従軍慰安婦」―ダイヤル110番の記録― |
著者、公文書発信者など | 日朝協会埼玉県連合会編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995.8.15 |
発行所 | 日朝協会埼玉県連合会 |
ページ | 43-44 |
出典備考 | |
備考 |
北京50万分の1(1933年)の地図によると、保定の北方に「易県」があり、現地図にも同位置に「易県」がある。テキサス大学図書館公開の中国地図(シリーズL500、1954~)「蔚県」に「易県」が記されている。地図の右端中央部である。テキサス大学図書館公開の中国地図は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nj50-1.jpg |