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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報河北省 保定市 定州市
資料にある地域情報定県
慰安所があった時期1943年後半
記載内容連隊本部が京漢線の東長壽に、大隊本部は定県にと、夫々の駅の近くにあって、電気とて点いていないが、活気ある町の市場でもあった。わが中隊本部霊山鎮から定県まで100キロ以上あった。又定県から東長壽の連隊本部まで40キロ以上にあって、各町には軍の施設の朝鮮人慰安婦が15名は居たし中国人の娼婦館があって数十人はいた。これをピーヤと呼び女を買うことをピー買いと言っていた。・・・自分にして定県は度々のことで、慰安婦で月子という21歳の女を知っていた。彼女の狂乱を押えたことから何事も話し軍曹さん軍曹さん又は西山西山さんと慕っていたからで、それも励ましと慰めのためにと定県連絡に出る兵に幾ばくかのお金と手紙を͡言付けさせていたらから自分が出張して寄ると、喜んで迎えてくれていた。彼女は全羅公州の出身とかで、貧乏の家ながら、父母と兄2人と妹と私の6人暮らしだったが、父と兄が畑に出たまま行方が分らず人の話では、日本に連れて行かれたらしいと聞いている。母娘3人で私が18、妹が16歳の冬、早朝に村等が警察に襲われ女を悉く警察に連れて行かれ嫁さんから娘は全部トラックと船で下関に連れて行かれた。将校がお前達は天皇陛下に召されて挺身隊としてお国のためにご奉公することになった。・・・私が呼び出されて閉め切った部屋で素裸にされて嬲られて強姦され次々と廻され、あゝせ、こうして見ろと、きかないと殴る蹴るであった。・・・
証言者岡部正実
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル日本、東洋鬼子(リーベン トウヤンクイズ)
著者、公文書発信者など岡部正実
公文書宛先
発行日1998.7.30
発行所近代文芸社
ページ87
出典備考注:略歴には「昭和15年、12月北支那派遣軍として歩兵第139連隊に転属(永田部隊) 昭和16年、北支那歩兵下士官候補者隊入隊(指導学校) 昭和17年、同校卒業、原隊復帰」とある。歩兵第139連隊は鷺3908部隊である。
備考 略歴には「昭和15年、12月北支那派遣軍として歩兵第139連隊に転属(永田部隊) 昭和16年、北支那歩兵下士官候補者隊入隊(指導学校) 昭和17年、同校卒業、原隊復帰」とある。
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