証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報河北省 保定市 曲陽県 霊山鎮
資料にある地域情報霊山鎮
慰安所があった時期1943年後半
記載内容軍の警備する中隊以上の処には殆どと言ってよい程朝鮮人慰安婦がいた。・・・わが中隊の最前線で敵情険悪なところにも、3名の慰安婦を連れて来て、178名に及ぶ相手をしていた。・・・わが中隊本部霊山鎮から定県まで100キロ以上あった。又定県から東長壽の連隊本部まで40キロ以上にあって、各町には軍の施設の朝鮮人慰安婦が15名は居たし中国人の娼婦館があって数十人はいた。
証言者岡部正実
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル日本、東洋鬼子(リーベン トウヤンクイズ)
著者、公文書発信者など岡部正実
公文書宛先
発行日1998.7.30
発行所近代文芸社
ページ86-87
出典備考注:略歴には「昭和15年、12月北支那派遣軍として歩兵第139連隊に転属(永田部隊) 昭和16年、北支那歩兵下士官候補者隊入隊(指導学校) 昭和17年、同校卒業、原隊復帰」とある。歩兵第139連隊は鷺3908部隊である。
備考 139連隊は1943年7月に定県に駐屯(アジ歴:C12122433300の2049,C1402178300)し、秋期冀西作戦に参加(例えば、C13070397900)。後者資料では1943年12月に定県で大隊命令が発令(どの大隊かは不明)。また霊山鎮を出発する討伐隊もあった。これらは秘匿名「鷺」を冠する命令による。以上より、証言者岡部が139連隊に配属されたのは1940年だが、証言内容の時期は、同人が下士官教育を受け原隊復帰した後の、1943年後半だと思われる。/『満州帝国分省地図』の保定の南西方向に定県がある。現在の地図で同所は定州市である。現地図の定州市の北西に霊山鎮がある。テキサス大学図書館公開の中国地図・石門(シリーズL500、1954~)に「霊山鎮」が記されている。地図の「9-9」の位置である。テキサス大学図書館公開の中国地図・石門は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nj50-5.jpg
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