出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | 河北省 滄州市 河間市 景和鎮 |
資料にある地域情報 | 景和鎮 |
慰安所があった時期 | 1941年9月 |
記載内容 | この景和鎮にも1軒だけの料理屋兼ピー屋(ピーというのは慰安婦にたいする蔑称で、出身別に日本ピー、朝鮮ピー、チャンピーなどと呼んでいた。ピー屋とは慰安所のこと)があり、その店は菓子屋と写真屋までやっていた。写真屋がわずかの日本兵相手に成り立つはずがないので、後で考えると写真屋は阿片を吸うためのカムフラージュだったに相違ない。この何でも屋の経営者は朝鮮人で、従業員の女性も朝鮮人だった。・・・聯隊本部にあった料理屋は聯隊副官が管理していたが、中隊以下の単位ではこのような軍隊と不即不離の御用商人が経営する何でも屋が多かったであろう。とにかく景和鎮の街で日本兵相手の店は、この何でも屋1軒だけだった。日曜になると外出する兵は整列して、服装検査がおこなわれるが、外出といっても行き先はこの店だけなので、休日は大混雑していた。服装検査のさい週番下士官が一人一人に「突撃一番」(ゴム製品)を配っている。 |
証言者 | 藤原彰 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 中国戦線従軍記 |
著者、公文書発信者など | 藤原彰 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2002.7.2 |
発行所 | 大月書店 |
ページ | 27-28 |
出典備考 | 注:河間にあった聯隊本部で1週間の教育を受け、見習士官は中隊に配属された。藤原は景和鎮にあった第3中隊に配属された。23pの地図に景和鎮の位置が記載されている。 |
備考 | p23に地図あり。 |