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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報河北省 石家荘市 新楽市
資料にある地域情報東常寿
慰安所があった時期1937年10月25日
記載内容10月23日(土)・・・1時、橋こわれた河を渡河し馬頭鎮に入る。・・・馬頭鎮より右に曲がる。2時東常寿につく。・・・
10月24日(日)4時起床。・・・折角少しでも帰ったと思ったら又逆戻り。・・・
10月25日(月)6時起床、久しぶりでゆっくりねる。・・・俸給支払、8円80銭也。金は貰ったが一文もつかへぬ。明日6時出発。欒城へ向けて行軍!どうにでもなれ。8時廃屋に眠る。今日サック9枚支給さる。女が4人くる由。
10月26日(火)6時、一寸先も見えぬ朝霧の中を前進。三度目の馬頭鎮をすぐ。先日渡河した河は橋ができてゐた。・・・三度目の道。1時10分前、正定城外着。・・・
証言者井上靖
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル井上靖「中国行軍日記」
著者、公文書発信者など井上靖文学館
公文書宛先
発行日2016.3.18
発行所井上靖文学館
ページ35
出典備考注:井上の部隊の行軍は南北に行きつ戻りつしている。一旦、石家荘まで行ったが、再び引き返し正定に着く。その後が引用箇所である。10月23日に渡河し馬頭鎮に入り右折(東方向)する。そこが東常寿で、ここで23、24、25日と宿営する。その後26日、再び馬頭鎮を経て南の正定に向かう。25pに「井上靖 行軍の道のり」の地図が描かれている。
備考 『満州帝国分省地図』や新楽県10万分の1の地図に東常寿は見えず。本資料の25pの地図には、東常寿は新楽市の南東、鉄路(平漢鉄路)の東側にある。井上の行軍描写をたどると、南から北上し渡河して馬頭鎮で右折、つまり東方向に進むと長常寿があると記されている。馬頭鎮は10万分の1の地図(馬頭鎮)や現在の地図(馬頭鋪鎮)に記載されている。これらのことから長常寿は馬頭鎮からさほど遠い位置ではなく、現在の地図の新楽市内と推測される。なお、馬頭鎮から西方向には戦史に登場する有名な「東長寿」があるが、ここではない。石家荘市は河北省の省都である。テキサス大学図書館公開の中国地図・石門(シリーズL500、1954~)に「新楽」が記されている。地図のほぼ中央部である。テキサス大学図書館公開の中国地図・石門は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nj50-5.jpg
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