出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | 河北省 邢台市 |
資料にある地域情報 | 順徳 |
慰安所があった時期 | 1939年3月25日 |
記載内容 | 我々馬部隊は時折りの討伐と順徳の野戦倉庫に行くだけになった。順徳には日本人経営のカフェーや朝鮮P屋(女郎屋)がある。馴染の朝鮮Pも出来て順徳行きの使役が楽しみの一つになっていた。 |
証言者 | 寺坂孝夫 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 鳥取40連隊第1大隊 |
資料タイトル | 支那事変従軍日記 |
著者、公文書発信者など | 寺坂孝夫 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1990.1.14 |
発行所 | 私家版(鳥取市) |
ページ | 205, 184-185(絵と写真) |
出典備考 | |
備考 |
『満州帝国分省地図』で石門から京漢線を南下すると、順徳がある。現在の地図で同所は邢台市である。テキサス大学図書館公開の中国地図・刑台(シリーズL500、1954~)に「HSING-T'AI(SHUNTEH):漢字表記「刑台」」が記されている。地図の下部中央より左側である。英語表記の括弧内が「順徳」であろう。テキサス大学図書館公開の中国地図・刑台は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nj50-9.jpg ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
|