証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報河南省 新郷市 獲嘉県 亢村鎮 
資料にある地域情報元村
慰安所があった時期1939年2月27日
記載内容2月11日・・・
午後2時、一部は残りの糧秣を運搬、部隊について新郷東北方に逃げる敵を追跡殲滅すること決まり、残部は工兵隊及び歩兵若干とともに元村に向かう。15,6キロ京漢線を横切り、午後5時半元村に入る。
2月27日 晴 9時東門に立つ。・・・午後1時小冀鎮発、南方10キロ、張庄の須藤部隊に3時着、糧秣を交付。西方永定塞を経て元村に向かう。・・・夕刻、小隊長宿舎に全員集合の上、支那人慰安婦買いと性病についての注意がある。
証言者上原要三郎
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル輜重兵マル秘日記
著者、公文書発信者など上原要三郎
公文書宛先
発行日1983.3.20
発行所国書刊行会
ページ140
出典備考注:210pに「今回当時の小さな3冊の手帳から原稿用紙に書き写す際、仮名遣いは自然に戦後のものが交ざり、又行軍の里程を里からキロ(1里=4キロ)と書き直した以外、何等の操作や変更も加えていない」とある。また著者略歴には「昭和12~15年支那事変に応召」とある。2月の記載ページの肩には「昭和14年」と書かれている。
備考 注:元村の位置。2月11日などの記載から新郷の京漢線付近と推測できるが新旧地図に元村は見えず。アジア歴史資料センター:C13032610300の1609・1610の「黄河堤防工事平面図」に、原武北方に「元村」記載。この平面図と武陟県10万分の1の地図などを見比べると「亢村鎮」が元村の位置と一致する。亢村鎮は新郷の西南、原武の北方の京漢線の脇にある。前記公文書は「亢村」を「元村」と誤記したか、読み替えたものと推測される。この地区に駐屯した部隊は元村を使っていたのであろう。テキサス大学図書館公開の中国地図・新郷(シリーズL500、1954~)にある亢村駅が元村である。現在の地図では亢村鎮である。テキサス大学図書館公開の中国地図・新郷は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ni49-4.jpg
テキストのコピーはできません。