出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | 河南省 新郷市 輝県市 |
資料にある地域情報 | 輝県 |
慰安所があった時期 | 1939年 |
記載内容 | 私は兵士として昭和14年から16年にかけて、約2年間中国北部の輝県というところにいたが、第一線ではなく、第二線であった。・・・そこは第二戦だから、治安工作が主であった。勿論そこには住民もいたし、「お姐さんの家」というものも並んで立っていた。あまり立派な建物ではなく、ベニヤのバラック住宅で、彼女らの一部屋は横2メートル縦4メートルくらいであった。そして一棟がそれらの部屋が20くらいつらなって、合計6棟あった。それらの棟に「お姐さん」が朝鮮女性が8割、中国女性1割、日本女性0.5、フィリピン女性0.5の割合であった。 |
証言者 | 藤本北樹 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 51年目のメッセージ 一人ひとりの戦争と平和 |
著者、公文書発信者など | 岡田勝美編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1996.9.18 |
発行所 | 旭川冨貴堂 |
ページ | 82 |
出典備考 | 藤本北樹「北中国後方戦線にて」 |
備考 |
テキサス大学図書館公開の中国地図・新郷(シリーズL500、1954~)に輝県がある。新郷の北西である。現在の地図で同所は輝県市である。テキサス大学図書館公開の中国地図・新郷は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ni49-4.jpg ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
|