出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 河南省 漯河市 郾城区 |
資料にある地域情報 | 郾城 |
慰安所があった時期 | 1945年6月 |
記載内容 | 夜の3時、不寝番に立つと監理部で女の声がする。酒を飲んでいる。何だ、この体たらくは――。殴られて頭、痛し。硝子窓に写るわが顔、醜い顔、うかぬ顔、ひどくつかれている。(6月3日) 微熱に耐えて12時の不寝番。恩賞班の前に立つと、女の声がする。酒を飲んでいるのだ。(6月16日) 中国人部落立哨。女性2人が散歩している。慰安婦らしい。背の高い美人に声をかけると日本語で「蘭子」と答えた。どうしてはるばる遠い日本から来たのか。渡辺少尉が通っているらしい。(7月30日) 機秘密歩哨。慰安婦蘭子、3人の子がいる36歳の朝鮮人と知る。なんでこんなに身を落としたのか。過日の夜3時、監理部で女の声を聞いたが、あれは彼女だったのだと思う。(8月4日) |
証言者 | 屋祢本正雄 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 槍派遣北2971部隊 |
資料タイトル | 大いなるみち |
著者、公文書発信者など | 屋祢本正雄 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.6.5 |
発行所 | 叢文社 |
ページ | 58, 59, 62 |
出典備考 | 注:60pの6月26日に沖縄の守備隊全滅の記載がある。1945年のこと。61pには6月29日の記載として、「郾城の司令部から大庄の中隊に転じることとなり・・・中隊に着く」との記載がある。したがって、6月の記事は郾城で、7月30日、8月4日の記述は大庄に移動してからのことと思われる。蘭子も郾城から大庄に移ったようだ。なお、証言者は1944年3月応召。本資料は前編と後篇に分かれ、前篇は検閲を逃れ持ち帰った日記帳2冊を元に江先光が解読し解説を付したもので、後編は「自分の書いた文字が読めず記憶によったもの」とあり、重複があるかもしれないと記されている。郾城到着は1944年7月。1945年4月に公用出張があるが、基本的には郾城に駐屯。同年6月29日に大庄に移動した。 |
備考 | p60の6月26日に沖縄の守備隊全滅の記載がある。 |