出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 河南省 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 大庄 |
慰安所があった時期 | 1945年7月30日 |
記載内容 | 夜の3時、不寝番に立つと監理部で女の声がする。酒を飲んでいる。何だ、この体たらくは――。・・・(6月3日) 微熱に耐えて12時の不寝番。恩賞班の前に立つと、女の声がする。酒を飲んでいるのだ。(6月16日) 堰城の司令部から大庄の中隊へ転じることになり、苦力達に菓子などやる。夜7時出発。徹夜の行軍。・・・夜明け、中隊に着く。(6月29日) 中国人部落立哨。女性2人が散歩している。慰安婦らしい。背の高い美人に声をかけると日本語で「蘭子」と答えた。どうしてはるばる遠い日本から来たのか。渡辺少尉が通っているらしい。(7月30日) 機秘密歩哨。慰安婦蘭子、3人の子がいる36歳の朝鮮人と知る。なんでこんなに身を落としたのか。過日の夜3時、監理部で女の声を聞いたが、あれは彼女だったのだと思う。(8月4日) 隊内には「慰安婦」という娼婦が7,8人常駐していた。・・・夏の夜の1時、私は不寝番に立つ。・・・と、向こうから顔見知りの少尉が来る・・・2ヵ月後、少尉は悪性の梅毒にかかり、野戦病院に入院した。「ザマミロ」私は内心ほくそ笑んだが、あの清潔そうな慰安婦が梅毒持っていたのかと裏切られ思いがした。 |
証言者 | 屋祢本正雄 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 槍派遣北2971部隊 |
資料タイトル | 大いなるみち |
著者、公文書発信者など | 屋祢本正雄 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.6.5 |
発行所 | 叢文社 |
ページ | 58, 59, 62、136-137 |
出典備考 | 注:6月の記事は郾城で、7月30日、8月4日の記述は大庄に移動してからのことと思われる。蘭子も郾城から大庄に移ったようだ。なお、証言者は1944年3月応召。本資料は前編と後篇に分かれ、前篇は検閲を逃れ持ち帰った日記帳2冊を元に江先光が解読し解説を付したもので、後編は「自分の書いた文字が読めず記憶によったもの」とあり、重複があるかもしれないと記されている。郾城到着は1944年7月。1945年4月に公用出張があるが、基本的には郾城に駐屯。同年6月29日に大庄に移動した。証言の最後の段落は、「後篇」の記載である。この中の「顔見知りの少尉」とは渡辺少尉のことのようだ。ということは「清潔そうな慰安婦」とは蘭子のことであろう。「隊内には「慰安婦」という娼婦が7,8人常駐」したというから、郾城にいた慰安婦が大庄に移動したのであろう。大庄は各地にあり。大庄の位置は不明。 |
備考 | 6月29日に大庄に移動したとの記述あり。大庄の位置は不明。 |