出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 山東省 済南市 |
資料にある地域情報 | 済南市 |
慰安所があった時期 | 1937年12月 |
記載内容 | 12月30日晴れ 隊診断後、谷口中尉と宿舎の前の中山公園を逍遥す。・・・衛生兵の話によると、兵隊たちはすでにチャンピー(支那売春婦)を買っている由、なかなかこの方面にかけては兵隊は敏捷だ。 12月31日晴れ 一昨日より喉頭部痛、咳あり。・・・午後は、谷口中尉と市内を散歩し、珍しい支那遊郭を見物す。多くの兵隊が出入りしていた。・・・さらば昭和12年よ。 |
証言者 | 藤原東一郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 鳥取40連隊 |
資料タイトル | 羅山に散るまで 日中戦争隊付軍医の日記 |
著者、公文書発信者など | 藤原東一郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2008.8.15 |
発行所 | 文芸社 |
ページ | 79-80 |
出典備考 | 注:著者略歴に「1937(昭和12)年12月、応召。鳥取40連隊に入隊し、天津より南へ中国各地を転戦」とある。1938年10月1日に戦死している。 |
備考 |
著者略歴に「1937(昭和12)年12月、応召。鳥取40連隊に入隊し、天津より南へ中国各地を転戦」とある。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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