出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 山東省 済南市 |
資料にある地域情報 | 済南 |
慰安所があった時期 | 1939年2月 |
記載内容 | 昭和14年2月25日、本日は休養日。9中隊は野戦ピー屋に行くことを許される。外出理由を問われ、自分は「酒保」と答えて叱られた。何となれば、ピー屋に行くことが普通と見られていたからだ。それほど兵隊とピー屋は切っても切れない縁がある。隊長と共に野戦のピー屋を見に行った。支那人の家に陣取り、入口に「慰安館」と書かれてあった。朝鮮娘が10人ばかり居た。 4月9日、休養日。まず内外の掃除。朝食後兵器の手入れ、洗濯。将棋する者もいた。中にはピー屋に遊ぶ者もいる。野戦に慰安所は必要であろう。しかし1回2円50銭の朝鮮ピーは高い。それは将校用とかの話だが、・・・兵隊は8円80銭しか俸給はない。 |
証言者 | 利重静 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 藤島部隊 |
資料タイトル | 続・美祢市民戦争体験記 五十年目の証言 |
著者、公文書発信者など | 五日の会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995.1.31 |
発行所 | 五日の会 |
ページ | 115 |
出典備考 | 利重静「わが転戦の記」 |
備考 | 現在の地図で済南は山東省の西部、黄河沿いにある。 |