証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報山東省 泰安市
資料にある地域情報泰安
慰安所があった時期1941年
記載内容当時日本内地では各地で「国防婦人会」の歓送会が行われていた。・・・各地の慰問袋を託されたインテリ婦人たちが中国へ向かった。新聞紙上でもしばしばその“美談”が報じられていた。その国防婦人会訪中団のある部分が、こうしていま泰安の料亭で売春婦として住み込んでいたのだ。そのなかのある者は20歳代の女性であった。
例えばこれは「衣」師団の前身である「独混10旅」時代のことになるが、1941年のある日、第111大隊に国防婦人会による「大陸慰問団」という日本女性200人がやってきた。彼女らは内地の各都市でカンパした慰問品を皇軍兵士たちにプレゼントする集会を行ない、その後しばらくのあいだカッポウ着姿も軽やかに、部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだといわれた。同大隊の榎本正代伍長(当時)らが約1ヵ月にわたる作戦を終わって部隊に戻ったとき、まだ彼女らは部隊にいた。カッポウ着姿の上に「国防婦人会」と大書したタスキをかけた姿も以前と変わりなかった。しかし、その時すでに彼女らは、部隊内で皇軍相手の売春婦にさせられていた。「目的はちがったけど、こんなに遠くに来てしまったからには仕方ないわ」が彼女らのよくこぼすグチであった。
証言者榎本正代
証言者属性日本軍兵士・伍長
部隊名独混10旅第111大隊
資料タイトル天皇の軍隊
著者、公文書発信者など本多勝一・長沼節夫
公文書宛先
発行日1991.9.1
発行所朝日新聞社(文庫)
ページ293-294
出典備考注:293pの途中から「舞台を済南から泰安に戻す」と記載の後、この「独混10旅」の話がでる。証言は泰安のことと思われる。アジア歴史資料センター:C11111405600「独立混成第10旅団 警備配置要図 昭和15年8月」には泰安に星マーク(本部)があり済南にはない。11pに「衣部隊の歴史」(衣会)が引用されているが、それによると師団の母体は旧独立混成第10旅団で、独立歩兵第41,42,43,44大隊を以て歩兵第53旅団を、独立歩兵第109,110,111大隊を以て歩兵第54旅団を編成とある。証言中の独立歩兵第111大隊は「独立歩兵第111大隊略歴」(C12122429500)によると1942年4月に泰安で編成が完結した。370-371pには新しく着任した師団長の藤田茂の証言が掲載され、それによると「着任するとただちに、前任者が泰安においていた師団司令部を、各師団司令部があって便利な済南にもどし」と述べている。以上のことから、藤田が着任した1945年3月以前は泰安に司令部があったと思われる。慰安所が多かった済南でなく、少なかった泰安だからこそ証言のように慰問団が売春婦にさせられたのではないだろうか。
備考 テキサス大学図書館公開の中国地図・CHI-NAN(EAST)(シリーズL500、1954~)に「泰安」がある。済南の南である。現在の地図で同所は「泰安市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・CHI-NAN(EAST)は次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nj50-15.jpg
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