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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報山東省 済寧市 鄒城市 城後
資料にある地域情報城後荘
慰安所があった時期1939年7月23日
記載内容7月17日・・・今日はいよいよ小林隊の援護付で輜重隊と我々が城後荘に向けて出発する日だ。・・・と昨日見た朝鮮ピーがいるではないか。おやおやと思っていると、彼等も我々のトラックに乗り込んで来た。・・・トラックは全部で13台、自分らが乗っているのは3台目だ。・・・ついに城後荘に着いた。・・・
7月18日 越後荘はその直系が300メートルもない、小さな部落で、・・・隊長は又「とにかく憲兵隊から女性も来たし」とも言った。
7月19日・・・ピー屋がいよいよ医務室から中隊長となりの兵舎に引っ越して行った。何となく寂しい。・・・
7月23日 日曜日だ・・・今日からピー屋が開業である。・・・僕が行くと秀が来て西瓜をくれた。僕を部屋に引っ張り込んで「遊んで行ってよ」と言う。・・・
証言者野村正太郎
証言者属性日本軍兵士
部隊名第32師団通信隊
資料タイトル補充兵日記 1938-40年 中国に対する侵略戦争の中で
著者、公文書発信者など野村正太郎
公文書宛先
発行日1995.06.04
発行所伝承出版社
ページ138-149
出典備考
備考 注:1916年生。20歳以降の1936年から7月23日が日曜日である年を検索すると、1939年と1944年が該当する。本書の副題が「1938-40年」とあり、1944年は除外。更に146pに「泉詩郎の映画説明入流行歌「夕日は落ちて」」とあり、同歌は1935年の流行歌。1939年の証言であろう。
城後の位置は、済寧の東方に「鄒城市」がり、更に東方に「城後」がある。
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