出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 山西省 運城市 垣曲県 王茅鎮 |
資料にある地域情報 | 王芽鎮 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 目的地は東方約20キロにある王芽鎮である。ここには歩兵第227連隊の連隊本部があった。・・・“連隊本部へ着けば、つぎの移動まで、何日間かの余裕があるだろう。そのときは命の洗濯ができるにちがいない”と考えていたからである。・・・命の洗濯はピー屋で遊ぶことだった。・・・それでも今夜が王芽鎮最後の夜かもしれないし、みんながこうして顔を合わせて飲むことも珍しいので、酒が進んだ。・・・宴が終わると、この集落のはずれにある日本人街へと、みんなはでかけた。さすがに大隊長は残った。日本人街といっても、4、5軒の粗末な中国式家屋を改造したもので、料理屋とピー屋をかねて営業している一角だ。・・・「どや、王芽鎮美人の味は?」 |
証言者 | 藤崎武男 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 歩兵第227連隊 |
資料タイトル | 歴戦1万5000キロ 大陸縦断一号作戦従軍記 |
著者、公文書発信者など | 藤崎武男 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2002.7.25 |
発行所 | 中央公論新社 |
ページ | 17、28、30、45、46 |
出典備考 | 本資料は中公文庫版。単行本が同題名で1999.6に中央公論新社から刊行されている。 |
備考 |
現在の地図では運城市中心部の北東方向に垣曲県があり、垣曲県中心部の東南に「王茅鎮」がある。しかし、当時の地名は現在と違う。テキサス大学図書館公開の中国地図・新絳(シリーズL500、1954~)に「垣曲」があるが、その位置は黄河沿いである。地図の下段、「7-8」付近である。現在の地図で同所は古城鎮である。この古城鎮から北西方向に河沿いの道路を行くと王芽鎮を経て、皋落鎮に至る。この皋落鎮の直ぐ北が現在の垣曲県中心部であり、新城鎮とある。古城から新城に垣曲県の中心部が移転したようだ。垣曲県中心部は移転したようだが、王芽鎮は当時の位置のままと思われる。現在の地図にも王芽鎮がある。テキサス大学図書館公開の中国地図・新絳は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-ni49-3.jpg |