出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | 安徽省 蚌埠市 |
資料にある地域情報 | 蚌埠 |
慰安所があった時期 | 1938年5月 |
記載内容 | 5月15日 丹沢、矢沢らは、早くも蚌埠の支那街の離れ小島に、支那女性の徴発ピー(誠注・強姦同様にして売春婦にされた中国女性を言うらしい)あさりに行き、性交を遂行してきたそうである。・・・矢沢君は、やるまえに20銭(今の1200円)を相手の女に与えたら、その女は、矢沢君の、軍帽にすがり、軍衣にすがり、5角(今の1万5千円位)の金を要求したそうである。しかし『五角出すのだったら、慰安所に行って、公然とやった方がいい』と言って、すがる女の手を払いのけ、20銭でむりやり強姦してきたそうである。そしてら、彼女らはワイワイさわいでいたという。・・・この蚌埠の衛兵所にいると、勤務のあいまに、おおかたの兵隊たちは、その離れ小島に支那女と性交をやりにゆく。・・・戦争と文学について書けというものがあれば、この女(慰安所と徴発ピー)に関する話を書かないなら、それはうその文学だ。事実をつきえざる文学だ。 |
証言者 | 遠藤誠の父の手帳から |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 弁護士と仏教と革命 |
著者、公文書発信者など | 遠藤誠 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1981.09.25 |
発行所 | 長崎出版 |
ページ | 180 |
出典備考 | 注:5月15日以降の引用が鉤括弧でくくられている。181pには「発禁処分にあたいする父の手帳が、検閲にもふれず、よくぞ中国大陸から海をわたって、宮城県大河原町の僕の家まで届いたものと、感心している次第である」と書いている。遠藤誠が父の手帳から引用したもの。172pの4月8日の引用の中で「誠注。かっこ内は以下同じ」と記している。金額換算のカッコ内は遠藤誠が付したものであった。 |
備考 |
遠藤誠が父の手帳から引用したもの。p172に「誠注。かっこ内は以下同じ」とある。
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