出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 安徽省 滁州市 定遠県 |
資料にある地域情報 | 定遠 |
慰安所があった時期 | 1938年4月8日 |
記載内容 | 「4月8日 午後から入浴に行く。帰りに、曽根君・川島君といっしょに支那ピーと日本ピー(ピーとは売春婦の意ー誠注。かっこ内は以下同じ)の姿を見に行く。代金は、支那ピーが30分で50銭(今の3千円)、日本ピーが30分で2円(今の1万2千円)、それでも満員なので慰安所にはなかなか入れない。曽根君は、1時間50分やって、9円払ってきたとのこと。」 前後の関係からすると、父はついに「ピー」を買わなかったらしい。 |
証言者 | 遠藤誠の父親の手帳から |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 弁護士と仏教と革命 |
著者、公文書発信者など | 遠藤誠 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1981.09.25 |
発行所 | 長崎出版 |
ページ | 172 |
出典備考 | 注:4月8日以降の引用が鉤括弧でくくられている。181pには「発禁処分にあたいする父の手帳が、検閲にもふれず、よくぞ中国大陸から海をわたって、宮城県大河原町の僕の家まで届いたものと、感心している次第である」と書いている。遠藤誠が父の手帳から引用したもの。金額換算のカッコ内は遠藤誠が付したものであった。176pに「父の歩いた道」の地図がある。そこに定遠が記されている。滁州市の西方約100キロに定遠がある。 |
備考 | 遠藤誠が父の手帳から引用したもの。p172に「誠注。かっこ内は以下同じ」とある。p176に「父の歩いた道」の地図あり。 |