出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 江蘇省 常州市 |
資料にある地域情報 | 常州駐屯 |
慰安所があった時期 | 1938年2月 |
記載内容 | 2月1日(火)・・・中隊会報・・・二、娯楽所の日割決定次第示す 行くときは必ず外出證携行のこと 予防薬星秘膏を支給するも絶対的に非ざるを以て注意すべし・・・ 2月24日(木)・・・中隊会報・・・二、慰安所の使用時間変更せらる 下士官 自午前10時 至午前11時 兵 次回は自午後3時 至午後4時・・・ 2月27日(日)・・・中隊会報・・・三、慰安所につき 下士官の時間定むるにつき注意すべし |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | 独立攻城重砲兵第2大隊第2中隊 |
資料タイトル | 中隊会報(独立攻城重砲兵第2大隊第2中隊陣中日誌 昭和13年1月1日~昭和13年4月30日) |
著者、公文書発信者など | 独立攻城重砲兵第2大隊第2中隊 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1938.2 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | wam公文書サイト:K_D_054-1(2.1)、K_D_054-2(2.24)、K_D_054-3(2.27)/アジア歴史資料センター:C11111881000簿冊表紙、c11111881200中表紙及び本文 0074-0075(2.1) 0134-0135(2.24) 0140-0141(2.27)/『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』2・5巻、女性のためのアジア平和国民基金、[2]1997.3.20 [5]1998.7.20、龍溪書舎、[2]233 [5]資料の概要紹介58ページ |
備考 |
注1:慰安所の呼称ではなく「娯楽所」。時期からみて『従軍慰安婦慶子』記載の娯楽所と同趣旨と思われる。呼称統一前か。後日、常州駐屯間規定中の慰安所規定が整備される。 注2:24日以降は、慰安所と名称が変わっている。『慶子』には、約半月で軍直営の娯楽所は閉鎖となり、その後民営化された記載されているが、概ね一致する。1月13日楊家宅の娯楽所が開設されているから2月1日は半月の最後のほうだったと思われる。この陣中日誌でも2月24日以降は「慰安所」となっている。/テキサス大学図書館公開の中国地図・武進(シリーズL500、1954~)に「武進・WU-CHIN(CHANGCHOW)」がある。CHANGCHOWは常州のこと。常州は武進とも呼ばれていた。地図の右上「7-2」にある。現在の地図の同所は「常州市」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・武進は次を参照のこと。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh50-4.jpg |