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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報浙江省 湖州市 徳清県 武康鎮
資料にある地域情報武康
慰安所があった時期1938年
記載内容前日の7月21日夜襲の武康の大激戦のことの詳細とは、・・・にわかに敵襲とて兵全部裸のままとび出したが、すっかり敵にしてやられ、・・・しかも部隊長はピー買いをし、支那女、日本女2名より成る慰安所を設置し、その襲撃のときも隊長以下幹部はピーと遊び、敵の退却後に戻って来たらしいと、兵一同に私は聞いた。兵一同は幹部の無責任に憤慨し、その隊長の相方たるや、敵スパイの回し者にて、相当に良い女だと認めた。その女性等は、渡辺部隊引上げと同時に杭州へ引き揚げた。・・・自治会並びに使用人全部をスパイとして捕らえ、自治会の30余名、一応杭州憲兵隊へ連行命令を受け、2日後前隊長相方ピー他1名と、自治会全員取調の上、当地へ返送され、「然ルベク処置セヨ」との命により、全部〇〇又は青年将校の腕試し、度胸定めのため〇〇、使用人の支那人全部も〇〇、今は1名の支那人も居らず、必要以外の家屋全部焼き払い、死体は全部火の中へ投げ込み、初めて〇〇及び軍刀の切れ味など私は目の前で見受けた。
証言者増田清雄
証言者属性日本軍兵士
部隊名嵐兵団歩兵第120連隊第3大隊
資料タイトル嵐兵団歩兵第百二十聯隊史 血涙の記録(上巻)
著者、公文書発信者など嵐兵団歩兵第120聯隊史編纂委員会
公文書宛先
発行日1977.12.01
発行所一二〇友の会
ページ98-99
出典備考増田清雄「遺稿 増田小行李長従軍記(2)」
備考 湖州市中心部の南に「武康鎮」がある。テキサス大学図書館公開の中国地図・HANG-CHOU(シリーズL500、1954~)の杭州の北に「徳清」がある。地図の左端「2-8」にある。「武康鎮」は見えず。現在の地図と対比すると、武康鎮は徳清県の中心部の南にある。現在の地図では「徳清県武康鎮」である。テキサス大学図書館公開の中国地図・HANG-CHOUは次を参照のこと。
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/china/txu-oclc-10552568-nh51-5.jpg
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